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ニューヨーク市多文化対応精神科クリニックでの研修体験:社会学者・心理カウンセラー 川西結子先生
ニューヨーク市多文化対応精神科クリニックでの研修体験
川西 結子
社会学者・心理カウンセラー
連絡先:ykawani810@gmail.com
抄録
ニューヨーク市内にある多文化対応精神科クリニックとその内部の仕組み、またユニークな背景を紹介するとともに、ここでサイコセラピー研修生として得た実地体験、アメリカの精神医療について臨床現場からの観察および考察をまとめた。メディケイドという貧困者用医療保険の患者にはアメリカ社会の過酷さを濃縮したような事例が多いが、多文化対応を全面的に表に出すこのような医療機関が、外国人の長期滞在者が増加するであろう今後の日本にも求められると思われる。また、サイコセラピーを精神科医療のなかで不可欠な治療の一部とする姿勢はアメリカに特徴的であり、医療制度等の違いはあれども日本においてもさらに広がってくることが望まれる。
1.はじめに
私は長年、文化と精神病理について主に日米で研究活動を行ってきた社会学者である。研究調査の中で多くの被調査者の方々のライフストーリーや精神的苦悩に耳を傾けるうちに、いつかは治療者として臨床現場にも関わりたいという思いを密かに持ち続けていた。その思いがどんどん強くなり、中年期の真只中、日本での職を辞し、サイコセラピストになるための勉強をすべく、アメリカ、ニューヨーク市の福祉大学院修士課程に入学し2年間の臨床研修を受けた。サイコセラピストとはサイコセラピー(精神療法)を行う治療者であり、日本風に平たく言えば心理カウンセラー、臨床心理士とも言える人々である。アメリカにおけるサイコセラピストへの訓練ルートはいくつかあるが、福祉大学院(Social Work School)はロースクールや医学部に類するプロフェッショナルスクールのひとつであり、私の場合その中の臨床心理専攻を通じて学ぶという方法が自分には最も合っているという結論に達したからだ。(日本の臨床心理士に相当する人々はアメリカではソーシャルワーカーが非常に多い。2010年時点でのアメリカ全国ソーシャルワーカー協会の調査によると、広い意味でメンタルヘルスプロフェッショナルと呼ばれる職業に従事している人々の60パーセントがソーシャルワ―カーであるという。精神科医は10%にすぎず、心理学部卒の臨床心理士は23%、そして精神科看護師は5%だという。)通常、ソーシャルワーク・スクール修士課程では大学院の講義に加えて週3日の現場研修を2年間続ける。この研修こそが福祉大学院教育の要であり、1年目と2年目にそれぞれ別の場所で、卒業までに計1200時間の研修を終えることが州認定試験受験資格の必修条件となっている。私はニューヨーク市マンハッタンのイースト・ビレッジという地域に位置するセントマークス·インスティチュート· フォー ·メンタルヘルス ·インク (St Mark’s Place Institute for Mental Health Inc.)という精神科外来クリニックで1年目の研修(2010-11年)をする機会を得た。以下にアメリカの精神科クリニックの一例としてのセントマークスについての報告と、臨床心理の見習いとして最初の機会を与えてくれたこの意義深い体験の一部をまとめてみた。
2.セントマークス·インスティチュート(St. Mark’s Place Institute for Mental Health Inc)、イーストサイドの地域密着型精神科クリニック
セントマークス·インスティチュートはインスティチュートという名前が付いているが、別に研究所というわけではなく、アメリカに星の数ほど存在する、州の精神衛生局から公式認定を受けた非営利及び民間の外来精神科クリニックの一つである。これらクリニックは通常、精神科医とサイコセラピストであるソーシャルワーカーや臨床心理士等のコメディカルと呼ばれるスタッフのチームから成り立っている。築100年以上の古びたレンガ造りビルが立ち並ぶニューヨーク市内には、目立つ看板を出しているわけでもなく、気をつけないと見逃してしまうこのようなクリニックが多く存在している。セントマークスはその中でもいくつかの際立った特徴がある。約34年前、ポーランド移民のローマン·パビス博士がアメリカで異文化適応に悩む同胞のポーランド移民達が様々な精神疾患に苦しみながらも言葉や文化の壁のため適切な治療が受けられない現状を憂いて、彼らのためにクリニックを創設した。さらにロシアやウクライナを始めとするポーランド近隣の東欧諸国からの移民達のためにも治療を開始し、これら地域出身の移民達の間では頼るべき存在のクリニックとなってきた。マンハッタンのイースト・ヴィレッジはニューヨーク大学を中心とする学生街でもあり、若者とアーティストの街として賑わうこの地域は活気あふれたサブカルチャーの場として、一般ニューヨーカー達の間でも人気スポットのひとつだ。その中心部から少し離れた、あまりきれいとはいえない老朽化したアパート街の一か所、小さなロゴマークだけを玄関につけた古ぼけたビル、外からは精神科外来などとは全く想像できないクリニックがセントマークス・クリニックである。玄関付近の道端には、しばしば立ち話にふけったり、単にブラブラしている常連患者達の姿もしばしば見受けられる。創立から30数年を経たセントマークスは今では東欧移民だけではなく、スペイン語が母語のヒスパニック系移民やその他世界各国から来た英語を母国語としない患者のために、其々の言語を話すことができるセラピストを集め、約30カ国語に対応できるようになっている。当然、精神科やセラピストの出身地も東欧を中心に世界各国にわたっている。全体的にみるとアメリカ国籍の患者が現在では大半を占めているが、多文化、多様性がこのクリニックの最大のモットーであり、いろんな社会背景の人々に開かれた治療を提供するクリニックであることを誇っている。 実際、患者層が生活保護受給者から高学歴のプロフェッショナルまで実に様々な人々であるのは、個性と多様性を謳うイーストビレッジの気風に惹かれてこのクリニックを選ぶ人が多いからかもしれない。若い時に初めてここで受診した患者がその後結婚し、家庭を持ち、次は子供の治療で再びやってくる、つまり世代に渡ってひとつの家族に対して治療を行うことも少なくなく、また絶えることなく何十年も続けて治療に通ってくる患者もいる。さらに、2001年の同時多発テロ直後には住民の心のケアにいち早く積極的に貢献し、その後開催された地元パレードではセントマークスのフロート(山車)を作り参加する等、この地に受け入れられた知る人ぞ知るクリニックとなってきた。
3.治療のしくみ
初診患者はスタッフによってインテイクという病歴、現在の症状、犯罪歴、薬物依存歴、生育環境から家族関係を詳細にわたって問う45分から1時間に及ぶ面接を受け、カルテに記録されたあと、DSM-IV-TR(当時)に基づく診断名がとりあえず下される。その後、別の日に精神科医による精神状態の診察(Mental Status Examination)が行われ、正式な診断名と薬物療法などが決められる。それと並行して担当セラピストとのセッション(一回約45分)が開始する。しかしここでの治療プログラムには向かないと判断された場合(サイコセラピーを受けられないほどの重症や、子供や思春期の薬物依存等)には、直ちに他の機関が紹介される。初診から一か月以内には治療計画(Treatment Plan)という治療目的とそれに向かうための具体的方針、方法などを文書にしたものが作成され、患者と治療者の間で承諾のサインが交わされる。もちろん、個人によってプランは様々であるが、基本的に、最低月一度の精神科医による診療、そして最低週一回のサイコセラピストとのセッションが義務付けられる。このプランも90日ごとに見直し、書き直される。
サイコセラピーは個人面談に限らない。アメリカではグループセラピーが非常に盛んで、このクリニックでも「慢性精神疾患患者のサポートグループ」や「認知行動療法グループ」など、通常週に一度のペースで行われていた。またセントマークスには薬物依存治療を専門とする部門もあり、精神科部門としばしば連携をとって総合的に治療が進められていく。 初回の面談から、患者のサインを求める法的文書(人権擁護、個人情報守秘、健康保険情報等)とともに、その後も必要に応じて継続的に作成される文書の圧倒的多さには驚く。NY州政府公認資格を維持するためには、治療目的のみならず、なにか不測の事態(訴訟等)が起こった場合に備えて患者との膨大な量のやり取りを記録しておくことが必要だからだ。さて、私のような研修中の大学院生は州政府の規定により、メディケイドという貧困者向け健康保険の加入者である患者を診ることしか許可されていない。メディケイド受給の患者は人種マイノリティ、失業者、生活保護や障害者年金受給者が多く、時にはホームレスもいる。 その数人のケースを紹介したいが、本人と特定される個人情報は内容の本質に影響ない程度に変えさせていただいた。
4.研修生として出会った患者の方々
最初に担当したアルバート(仮名)もそうだった。48歳のプエルトリコ(アメリカ自治連邦区)人男性、高校中退、薬物依存歴数十年、薬物所持と違法販売で刑務所に入ること2回。自殺未遂2回。という経歴を前もって読んだときにこちらは少々身構えたが、会ってみると9か月前に急死した母親に対する罪悪感に苛まれ、うつ状態がひどく、母親の話しになるとすぐに少年のように涙する繊細で気の弱い一人の人間だった。心配をかけどおしだった最愛の母の死はこれまでの挫折多き人生の中でも最もこたえたらしく、再び短期間薬物に走ったものの、その後人生を立て直そうという一大決心に到り、自分からこのクリニックに助けを求めてきたのだった。「大うつ病」と「薬物依存小康状態」という診断がつけられ、抗うつ薬服用とともに、私はセラピストとして彼と毎週会うことになった。白髪交じりだが、長身でスマート、ハンサムな中年男性のアルバートは、15歳までは貧しくとも暖かい家庭で育った。家族をなによりも愛してきたが、思春期の両親の離婚にはじまり彼自身の離婚、たった一人の弟のエイズによる死、恋人との別離など、大切な人々との喪失体験が繰り返されるたびにその痛みに耐えることが出来ず、薬物に救いを求めてきた。 母親は彼の薬物依存に胸を痛め、足を洗うように幾度も懇願してきたが、結局はアルバートがまっとうな生活をすることを見届けることなく突然逝ってしまった。しかし皮肉にも、この死により陥った深刻なうつ状態が彼を真剣に人生を立て直すことを決心させたのだった。私は、これほど人生経験も人種、社会的背景も異なる男性との間にどの様に接点を見出し、信頼関係を築くことが出来るだろうか、と当初心配したが、とにかく、しばらくは彼のつらい気持ちや不安などについてなんでも聞き共感することに費やした。母に対する罪悪感は回復へのきっかけとなりえるものの、それに圧倒されることなく建設的な方向へ向けていけるように、励ましと現実的なアドバイスを心がけた。精神力動療法と認知療法をその当時学び始めた私としては、彼のこれまでの人生を振り返り、どのようなストレスフルな状況、感情が薬物に走ることになったのかを2人で探求しようを試みたが、なかなか上手く進まなかった。もちろん初心者の研修生である私の力不足が一番の原因であるが、深い自己内省と感情の言語化を必要とするサイコセラピーを行うには、言語表現能力があまり豊かでないアルバートにはあまり適していないことも事実だった。一番の問題点である母親に対する気持ちをもう少しでも探ろうとするたびに、「もうこれ以上話したくない。考えたくない。辛すぎる・・・」と泣きそうになるのだった。結局は、抗精神薬服用の状態を確認したり、現在の日々のストレスに気遣い、その時々に応じてストレス対処法の提案をしたり、また、薬物に手を出さないという誓いが守られているか、などの生活指導が主な内容になっていった。それにしても、せっかく生活を立て直そうと前向きになっている彼にとって最も大きな障害として立ちはだかるのが、生活の基本である住居や福祉手当を確保するための諸々の手続きであった。メディケイドにより無料の健康保険は受給できていたものの、ぎりぎりの生活保護をうけながらのニューヨーク市内での生活は極めて厳しい。高齢の父親のためにも貧困高齢者用の公的ホーム入居を申請しているものの、長い待機名簿の順番はなかなか回って来ず、知り合いのアパートの小さな部屋を間借りし父と二人で暮らしていたが、こんなささやかな生活も何度か追い出されることがあり、その度にホームレスになるかもしれないという恐怖で落ち込む。うつ病を理由とした障害者年金の申請も必要書類を十分に提出したとしてもなかなかスムーズに進まず、彼の苛立ちと将来の不安ばかりがつのり、落ち込みを悪化させる。このような行政システムの機能不全はどの国にも存在するだろうが、私が診た患者の多くは心理問題のカウンセリングというよりも、この福祉制度の壁にぶつかっては落ち込む気持ちをいかに支えていくか、というケースが少なからずあった。私自身もアメリカの社会制度というどうしようもない怪物を目の前にし、ただ無力感にさいなまれることが日常茶飯事であった。せっかく信頼関係も築き、本人の精神状態も回復しつつあるのにここでホームレスなったらどうしよう、と真剣に心配させられる患者も何人かいた。
ロベルト(仮名。33歳)もそんな一人だった。彼は、薬物中毒の母親と義理の父によるネグレクト(児童虐待)にも比する家庭環境で育ち、高校中退、銃器保持で執行猶予になるなど非行の道にも入ったことがあったが、自力で高校卒業検定資格を取り、コンピューター関係の資格も取得。 大手企業にIT技師として数年勤務したこともあるメキシコ系の男性だ。友人と遊ぶこともない孤独な少年だったロベルトは16歳の時に極度のうつ状態となり家に引きこもる。1-2か月するとうつ状態はなくなるが、また別の時にはイライラが募り怒りっぽくなり、興奮して寝られず何度も起きたり、同時に万能感も味わう、という躁状態を経験するようになる。19歳の時、親しかった叔父をエイズで亡くしそのショックから自殺未遂した時に初めて精神科にかかり、躁鬱病と診断されたものの、その後きちんとした治療を受けることはなかった。彼の幼年―思春期は親の薬物依存だけでなく、家族全員でホームレス状態となったり、伯父に性的虐待を受けたり、数え切れないトラウマによるまさに満身創痍の状態を生き抜いてきた。それでも幼なじみの恋人と結婚し、安定した仕事につき明るい未来を計画していたこともあったのだ。しかし、躁鬱病が悪化し、職場での人間関係の軋轢に耐えられなくなり仕事を辞めてからは、生活は転落の一途を辿っていく。誰の力もかりず自分で獲得した仕事、アパート、結婚生活もひとつひとつ失い、最後には最愛のペット犬の死が彼を底なしの抑鬱状態へと引き落とした。生まれた頃から自分の息子のように育ててきた犬のペット、ケンは彼がこの世で唯一「無償の愛」を与えてくれる存在だったのだ。 ロベルトの過酷な生育環境と波乱の人生に私は驚き、また、タフな体格と外見とは裏腹に、内面には愛に飢えたやさしい少年の心のままの一面にふれることもしばしばだった。彼は自分の病気や家庭環境の問題点なども非常によく理解しており、内省的でありそれをしっかり表現することもできた。治療にもはじめの頃は積極的に参加していたが、なにもかも失い一文なしになってしまったあげく、友人のアパートの居間の片隅に居候している現在の自分の生活に将来の希望を見出すことは極めて困難だった。病気を抱えながら、一縷の望みである障害年金もなかなか下りず、友人にも愛想を尽かされホームレスになるのではないかという不安とストレスに押しつぶされそうになると再びうつ状態で身動きが取れなくなる、という悪循環に陥っていた。そのような時も、いかにこの危機を乗り越えるかという精神的サポートをするのが精いっぱいであり、私も無力感を禁じ得なかった。このように生活の基盤が安定していない患者には通常のサイコセラピー以前の社会制度の根本問題を解決していかなければならない。
ドイツ系アメリカ人のキャサリン(50歳)はかつて金融のウオール街でバリバリ働いていたキャリアウーマンであった。外科医の家に生まれ経済的には恵まれた家庭環境であったが、この父親はうちに戻ると妻と彼女に暴力をふるう暴君であった。彼女は父に対して憎しみと怒り、それと同時に愛され、認められたいという強い思いを交錯させながら育つ。成人して自立した生活を送っていたものの、脳腫瘍をはじめとするさまざまな身体疾患に襲われ、痛みをコントロールするための薬が手放せず深刻な依存症へと、そして、ついにはホームレスになるまで転落する。しかしなんとか障害者の福祉施設に入ることが出来、障害者年金も受給し始め、このクリニックにやってきた頃には生活状態は安定していた。主な診断は躁鬱病、ボーダーライン人格障害の可能性、というものだったが、看護師の免許も取得するくらいの知性と学歴をもちながら、十分に生かすことのできない不運に苛まれた半生だった。非常に感情的、私も含め他人に対しても本当は自分が一番優秀なのだというような傲慢な態度が見え隠れする女性だった。何年も前に亡くなった父親の事を話すと今でも怒りと悔しさでいっぱいになり、涙する。機能不全家族がいかに自分に影響を与えてきたかについても、明確に把握している。しかし、そのことをセラピーセッションで話すのは「麻酔なしで歯を抜かれるくらいに辛い」と言って、強く抵抗した。また、自分の精神状態はもう既に十分分析済みなので、セッション中もしばしば落ち着きがなく、早く終えてくれと言わんばかりである。予約をすっぽかすこともしょっちゅうだった。それでも彼女の心の片隅に追いやられた未だ癒されてはいない深い傷の片鱗を見せてくれることもあり、私はどん底からここまでサバイバルしてきた彼女の強さに感銘したものだ。
しかし、このようにサイコセラピー、ようするに話すことによって自分の内面を打ち明けるというアプローチに居心地悪さを感じるメディケイド患者は少なからずいた。それでも彼らがセッションにやってくるのはセントマークスがここで治療を続けたいならば、精神科医だけでなく、セラピストとの面談を義務付けているからである。彼らの本音は医者から薬だけをもらい、時間のかかるサイコセラピーなどには来たくない、ましてや辛い過去の事など思い出したくもない、あるいは辛い思いをして今の問題にわざわざ向かい合うことなどしたくない、というわけである。投薬治療のみ(medication only)を許している外来クリニックも存在するので、そちらを望む患者には紹介することになっている。しかし、セントマークスではあくまでも(精神科医によって処方される)薬とサイコセラピーセッションを必須の両輪とする原則は決して崩さない。両方を組み合わせたこのアプローチが最も治療に効果的だということが繰り返し証明されているばかりでなく、セントマークスが大学院を卒業したばかりの若手からこの道数十年のベテランセラピストを60人近くかかえる、サイコセラピストが中心になって運営しているプロフェッショナル団体だからだ。研修生としてはメディケイド患者しか診ることができなかったが、セントマークスの患者の大半は一般アメリカ人がそうであるように、雇用を通じて得た民間の健康保険を使い治療を受けている。日本と同じような無条件の国民皆保険がないアメリカでは5千万人以上の無保険のワーキングプア―を生み出すという深刻な社会問題が存在しているが、保険がある場合には医者による投薬治療だけではなく、サイコセラピーにも適用されるのが日米の大きな違いである。(2014年から開始のオバマ大統領による医療改革、いわゆるオバマケアにより、今後の精神医療がどのように変化していくかはまだ今後の成り行きを見守りたいが、これまで公的医療に手の届かなかった人々にもさらにサイコセラピーが届く可能性が増えると思われる。) もっとも私自身はサイコセラピーに必ずしも合わない患者に毎週強制的に来てもらうよりも、彼らにとってより必要な就業訓練や趣味、社会的スキルをつける活動を通じて日々の生活基盤の安定を目標にした治療プランを立てる方が良いのではないかと思うこともしばしばあった。もちろんこのような治療は精神科外来クリニックの範囲以外であるが。
5.セントマークスが直面する様々なチャレンジ
セントマークスのような民間の非営利クリニックが地域と患者達の信頼を得る正統な組織として自信を持って運営していくために欠かせないのが州政府による公式認可という地位である。ニューヨーク州政府はTitle 14 NYCRRのPart599という法令でクリニックの運営手順から臨床スタッフの構成、資格、具体的な治療プロセスにいたるまで詳細にありとあらゆる基準を設けている。セントマークスは創設以来連続して公認され続けているが、そのために数年ごとに行われる州政府による審査で問題点を指摘され認定を失わないよう、多大な努力を費やしている。先述したカルテをはじめとする膨大な種類の文書の目的のひとつはこの審査に備えるためである。また、保険会社による治療費払い戻し請求も、記入方法がその基準に則っとったものでなくてはならず、このクリニックではいつ監査が行われても大丈夫なように、州政府基準法案専門のコンサルタントまで採用していた。
それら基準順守がこのようなクリニックの社会的地位と治療の質を保証していることは確かであるが、反面、その締め付けの厳しさが逆効果となる場合も多々ある。しょせんは人間対人間の治療関係のなかで、患者一人一人の必要に応じたフレキシブルな対応をする余地は極めて少ない。最近導入された電子カルテシステムではサイコセラピーのセッションで患者に問う質問項目にまでも介入が行われ、ますます治療現場における締め付けが強まっている。その背景には医療費増大を出来るだけ抑えようとするアメリカ社会全体の方針がみられるが、この規制の枠内でいかに人間的かつ有効な治療を提供するかに現場の治療者達は日々頭を悩ましている。
また、先に触れたように、サイコセラピーのアポを守らない患者が実に多く、全予約数の3割を超えるともいわれていた。やはり、無料健康保険であるメディケイド患者に特に多く、前もって来られないことを電話で伝えてくるならまだしも、まったくのすっぽかしが多いことに、私も最初は驚いた。ベテランの老セラピストからは、「これらすっぽかし常習患者には生活常識が欠如している人間も多いので、厳しい態度で接するように」とのアドバイスを受けた。私の様な無給研修生は別として、プロのセラピスト達はアポをキャンセルされるとその分の給与は支払われないのだからたまったものではない。スタッフミーティングでもサイコセラピー不参加患者にどう対処するかが、しばしば問題となった。3度続けて欠席されると、ディスチャージ(患者リストからの除名)勧告を電話や手紙で伝え、それにも返答がなかった場合には、所定の事務上のプロセスを経たのちに患者リストから外される。上司であった精神科部門の部長は、「遠慮なく」この手順でどんどん規則に従わない患者は追い出してよし、との指示を正規スタッフにも研修生にも出していた。 幸い(?)セントマークスは新規患者には困らない。何年も通い続けている患者とますます増える新しい患者でケースロードは満杯の状態である。本来なら個人の状況にあわせるべき精神科治療において、また来院が出来ないというのが症状、疾患の一部かもしれないという患者を切り捨てるようで複雑な気持ちにもなったが、ある意味ビジネスライクに割り切らないとクリニックの経営も難しくなってくる、という現実も目の当たりにした。
さらに、老朽化したビルの中で増大する患者とスタッフを収容する部屋、カウンセリング用個室が絶対的に不足しており、物理的な環境はますます厳しくなっている。しかし、精神科部門の部長(当時)であったピーター·タ―コ氏の明るさと独特のユーモア、そして若手セラピストを育成しようという温かい雰囲気のおかげで、救いようのない深刻なケースが日常茶飯事のメンタルヘルス最前線で、スタッフ皆が悩み多くともまとまりながら、燃え尽き症候群にならずに前向きに仕事をしていけるのかもしれない、と感じられた。
6.最後に
この見習い時代から5年経過した今でも、当時私の患者として出会った人々のことは時々思い出される。臨床家としての初めての機会を与えてくれたこの体験をおそらく一生忘れることはないだろう。彼らはその後どうなったのだろうか。病状や生活状況は少しでもよくなったのだろうか。アメリカ社会の光と闇、特に残酷さを集約したようなあのニューヨークでどうやって生き延びているのだろうか。この研修では、私自身がいわゆる最近アメリカにやってきた移民の患者を担当することはなかった。しかし、このクリニックで話される言語はまさしく多種多様、ちょっとしたプチ国連クリニックという感じだった。セントマークスでは自分の出身文化に敬意と理解ともって迎えてくれるという利用者達の共通認識があり、ニューヨークに多くある精神科外来クリニックのなかでも特別な人気を保持しているのだろう。日本とアメリカでは社会構造も医療制度も非常に異なっている。 外国人固有の適応問題にも理解を示してくれるクリニックは首都圏でいくつか存在するが、永住も含めた在日外国人が益々増加していくと予想される日本において、外国人が精神を病んだ時に言葉や文化の違いに積極的な対応、支援を提供できる機関がさらに多く開設されることが望まれるだろう。グローバル化には精神医療面でも対応していかなければならない。また、社会の最下層にいるホームレス等にはうつ病を抱えている人々も多いが、そういう人々にも具体的な福祉支援に加えて、サイコセラピー、あるいは心理カウンセリングにもっと時間が費やせたら、と思う。その効果がアメリカでは精神科医による投薬治療と同等に実証されているからだ。うつ病が国民病と言われるほど増加した今、一般の人々に対しても心理カウンセリンシステムのさらなる普及と保険適用等のサポート体制の確立も今後の日本にとって急務であると思われる。
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