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津田敏秀「医学的根拠とは何か」(5) 第4章「専門家とは何か」 個人ブログ

わたくしのような古い医者は、正直にいうとEBMというものになんともいえない違和感のようなものを感じている。「浅い」感じがするのである。過去のさまざまな経験の蓄積からいって、このような場合にはこの診断とするべき、この薬を使うべきといわれると、どうしても「なぜそうなのか?」と考えてしまうのである。「メカニズム派」の毒がまわっていることは明らかなのだが、そういう思考とペアでないとEBMというのは単なる暗記ものとなってしまうように思えてしまう。もちろん、インターネット時代の今、暗記などすることはなく、検索すれば最新の情報にすぐにアクセスできるわけであるが、そこには「自分なりの納得」というものが欠けているように思えてしまう。これは「事実」というのが自分の「外側」にあるのか自分の「内部」にあるのかという「科学哲学」上あるいは「認識論」上の大問題に帰着するのではないかと思う。この点では津田氏はあっさりと「外側」を真実としてしまう。今述べたようなことを言い出す人間は「直感派」であると思うので、わたくしは「メカニズム派」にして「直感派」ということになりそうなのであるが、それなら「数量派」の部分がないかといえば、自分ではそうでもないと思っている。というか臨床をやっていたら、いやでも数量派の部分をもたざるをえないわけで、医療行為は確率の上に成立しているのだから当然である。ある状態で治療をするか否かの判断を疫学なしにすることはできないわけで、ただ疫学知識だけで決まると思っていないだけだと思う。治療ガイドラインというような形で提供されている疫学データはその解釈の過程が「メカニズム」派的観点から汚染されて中立的でないものになっている可能性が高いと思っているのが一つである。理論なしに観察することはできないとすると、まずメカニズムが先に想定され、それを実証するために疫学的調査がおこなわれるという方向が普通だと思うので、最初の仮説と反する疫学的事実は無視されるか過小評価されるかという傾向があると思っている(喫煙が何らか健康に有益な側面があるとする研究は現在ではまず投稿しても学術誌から拒否されてしまうというようなことをきいたことがあるが、反=禁煙派が流しているガサネタかもしれない)。もう一つは、患者さんの年齢、疾患の進行状態、その患者さんのものの見方考え方などの情報なしに治療の方針が決まるとは考えれないからである(だからあらゆるがんは治療するなという論には与しえないが、あらゆるがんの治療方針がEBMから決まるとも思えない)。さらに治療者(つまりわたくし)のものの見方、考え方も治療の方針にかかわる。自分が30歳のときと40歳のときと50歳の時と60歳の時で同じ症例に違う治療をしている。これは臨床経験が増えたからではなく(それもあるが)、ものの見方考え方が変わったからである。こういうのは直感派の典型的ものいいなのであるが、EBMはどのような医師もある疾患に対しては同じ治療をおこなうというありえない前提からでてきているように思えてしまう。統計処理をすると年齢や生活状況の差といったものは消えてしまう。むしろそれを消すために処理をしている。しかし目の前にいる患者さんは平均値から外れているのであるから、現場においてはそれに対応した修正が必要になると思う。というような議論は疫学を根本的に誤解しているという批判をうけること必定であると思うが。2013.12.29 日々平安録 

編集部