メランコリー親和型の病前性格を持つ典型的なうつ病と、現代うつをめぐる議論が混乱しやすいのは、二つの問題が混在しているからだと筆者は考える。一つは、精神疾患に対する社会の偏見が弱まり、早期受診する軽症例が増加したことである。そのために、ある程度重症化してから受診することが普通であった時代に作られたうつ病治療の常識が、当然のように改変を迫られている。もう一つは、かつて日本国内で広く共有されていた「日本社会」への同一化が揺らぎ、価値観が多様化したことである。20~30年前であるならば、患者も家族も、医療関係者や職場も日本社会全体への同一化が強かった。その時には患者の示す「同一化」の傾向を大切にする治療方針が奏功することが多く、道徳的にも正しいと考えられた。しかし、現代社会における状況は多様化している。ある精神科医が「メランコリー親和型の強いものは,境界設定の曖昧な職場の中で,彼が『済まない』と感じる仕事があることに対してレマネンツ感情(注:負い目の感情に近い。注は筆者)を刺激され,それを回避するために際限なく仕事を負う孤立した立場になる」と論じたように、同一化を行う傾向が強く個の確立が果たされない個人が、かつてのメランコリー親和型のように保護されずに経済的に搾取される可能性が大きくなっている。その中で、個別の状況への配慮が求められるようになっている点で、「現代うつ」への治療的対応は複雑で難しくなっているといえるだろう。難治例の経過には、日本人における自己と西洋近代の自我の相克のような、文化的な難問から生じる葛藤が関連していることがある。(なお、臨床場面ではこのように解決困難な形で問題を定式化することは避けられねばならない。文化的な議論の場面であることを踏まえて、ここでは敢えてそうしている)。2014.01.08 HUFF POST
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