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最終更新日:2025.04.02

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トピックス 2025.04.02

【研究成果】音楽の有効な習得法を脳科学で実証 ──練習方法の違いにより左脳と右脳の活動が変化──

2025年4月2日
東京大学
才能教育研究会

発表のポイント

  • 中級者が新しくピアノの曲を始める短期的な(1週間程度の)練習において、音源を聴くことから入るほうが、楽譜を読むことから入るよりもその曲が正確に把握でき、負荷の高い楽譜で練習することにより右脳の補助が生じることを発見しました。
  • ピアノ以外の楽器も長期的に(少なくとも1年以上)練習した経験があるほうが、ピアノだけを練習している場合よりもその曲が把握しやすくなり、言語野を含む左脳が有効に活用されるようになることが、今回初めて実証されました。
  • 文字ではなく音から入る自然な母語習得のプロセスを楽器演奏習得に応用した「スズキ・メソード」の有効性が、脳科学によってさらに明らかとなりました。

概要

 東京大学大学院総合文化研究科の酒井 邦嘉 教授のチーム(大学院生(研究当時) 堀澤 麗也、助教 梅島 奎立)は、公益社団法人才能教育研究会(本部:長野県松本市、理事長 早野 龍五、会長 東 誠三)との共同研究において、音源を聴いて練習した場合は、複数の楽器の習得経験がある人で、左脳の言語野(注1)が有効に活用されるようになるのに対して、楽譜を読んで練習した場合は、楽器習得が複数か否かにかかわらず、右脳の前頭葉(注2)と側頭葉(聴覚野)の補助が生じることを初めて明らかにしました。

 本研究グループは、スズキ・メソードの生徒23名(中高生が中心)と、他のメソードで練習した成人15名を対象として(どちらも中級程度のピアノ演奏能力を持つ)、楽曲の流れについて音楽的に判断する課題とMRI装置(注3)を用いて、短期的および長期的な音楽経験が脳活動に与える効果を調べました。その結果、言語野・聴覚野とそれを補助する領域の活動が音楽経験に関係して定量的に変化することが分かりました。また、楽譜を読むことから入った場合に脳活動が検出されたのは左右両側の前頭葉と側頭葉でしたが、スズキ・メソードの生徒では音源を聴くことから入った場合と比較しても左の言語野の活動が強く現れました。

 これらの結果は、言語野と聴覚野が音楽と言語の共通基盤であるとの仮説を支持するものです。なお本研究は、2021年の成果発表「楽器演奏の習得の脳科学的効用~音楽経験により特定の脳活動が活発化~」(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00030.html)の知見をさらに発展させたものです。本研究は、公益社団法人 才能教育研究会より助成を受けていますが、団体としてはデータの取り扱いや論文の記載内容には関与せず、利益相反もありません。

 鈴木鎮一(Shin'ichi Suzuki, 1898-1998)が始めた教育法である「スズキ・メソード」は、自然な母語習得を可能にする人間の高度な能力に注目して、それを楽器演奏習得に応用した「母語教育法」です。スズキ・メソードは、これまで世界74の国と地域で実践されてきたものであり、そうした普遍的な教育法の有効性と重要性が科学的に明らかとなった意義は大きいと言えます。


発表内容

① 研究の背景・先行研究における問題点
 音楽は言語と同様に、複雑な階層構造を理解する人間に固有の能力によって成り立ちますが、脳における音楽の神経基盤がどのように練習で身につくのかはよく分かっていませんでした。例えば、スズキ・メソードでは楽曲の練習をする際に音源を聴くことを重視していますが、楽譜を読むこと(読譜)のほうを重視する練習法もあり、どちらが優れるのかといった比較調査はなく、そうした練習の効果が脳のどの部位によって担われているかについては定説がありません。また、そうした音楽に関係する脳機能が、楽器演奏の習得経験によってどのように変化するかも不明のままでした。

② 研究内容
 本調査では、ピアノ経験のある中高生から大学生・社会人38人を対象として、ピアノ以外の楽器習得経験のある19人(以下Multi群、その内スズキ・メソードの生徒は11人)と、ピアノのみの経験者19人(以下Mono群、その内スズキ・メソードの生徒は12人)の2群に分けました。また、スズキ・メソードの生徒23名をSuzuki群としました。つまり、これらの群には長期的な楽器習得経験の違いがあります。なお、両群の年齢、楽器習得の開始年齢、経験年数およびピアノ練習の積算時間は、群間で統計的な差がありませんでした。本調査にあたって、東京大学の倫理委員会で承認の上、全参加者から(未成年者はその保護者を含め)書面でインフォームド・コンセントを得ています。

 音源にはピアノ独奏による録音を用いました。使用楽曲は、J. S. バッハ作曲メヌエット(イ短調)、J. クラーク作曲マルシア(ニ長調)、G. ベーム作曲メヌエット(ト長調)、L. モーツァルト作曲(異説あり)アントレ(イ短調)の4曲です。いずれも調査前から参加者が知っている曲ではありませんでした。調査開始の1週間前からトレーニングを行って、最初の5日間は、2曲についてそれぞれ毎日5回ずつ繰り返して音源CDを聴き(以下Listen条件)、ほかの2曲は毎日同様の時間だけ楽譜を読む(以下Read条件)ように指示しました(図1A)。これが短期的な音楽練習の違いです。これら2曲のセットは、参加者の半数で条件を入れ替えてあります。トレーニング最後の2日間は、4曲とも楽譜を見ながら実際にピアノで弾いてみることで、楽曲の確認を行いました。

 トレーニング終了の翌日に、MRI装置内で音楽判断課題を実施しました。各試行では参加者に曲の一節の音源(半分はトレーニングの音源と異なる奏者によるもの)を18秒間提示して(図1B)、不自然な箇所(曲中の1‐2小節を入れ替えたもの、図1C)があったかどうかを判断させ、ボタン押しで回答させました。不自然な箇所の前後では音楽の流れ自体は自然に聴こえますが、楽曲の文脈の中で自然な構造になっているかを判断させました。これがContext条件です。また、同一曲で音源定位の変化(左右の強弱が入れ替わる変化)があったかどうかを判断させ(Direction条件)、これを対照条件として対比しました。

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図1 トレーニングと音楽判断課題に用いた楽曲の例
1週間かけて4つのピアノ曲をトレーニングした後で(A図)、曲の構造を覚えているかをMRI装置の中でテストしました。全試行の半分は正しい演奏の音源が提示され(B図)、残りの半分は構造的に不自然な箇所(たとえばB図の曲中の1小節を入れ替えたもの)を含みます(C図)。

 その結果、課題の正答率を応答時間で割った指標は、ピアノのみの経験があるMono群よりも複数楽器の習得経験があるMulti群のほうが大きく、またどちらの群でもListen条件のほうがRead条件より大きくなり、その曲が把握しやすくなることが分かりました(図2左)。後者の結果は、短期的な(1週間程度の)音楽経験の効果です。さらに、このListen条件の優位性は、Suzuki群で顕著でした(図2右)。Suzuki群以外の参加者ではこの優位性が見られなかったので、単に課題で音声を用いたことが、Listen条件で有利に働いたわけではありません。また、Multi群とMono群の群間差は、複数の楽器について合算した総練習時間という単純な量的指標では説明できず、長期的な(少なくとも1年以上の)音楽経験という質的な効果だと考えられます。

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図2 音楽判断課題の成績
楽曲の流れについて音楽的に判断する課題(Context条件)について、課題の正答率(accuracy, 100%を1とする)を応答時間(RTs, 秒)で割った指標(縦軸の単位は毎秒)をグラフで示します。その値が大きいほど、成績が高いことを意味します。Multi群とMono群のどちらの群でも、トレーニング時に音源CDを聴いたListen条件のほうが、楽譜を読んだRead条件より成績が高くなりました。また、Multi群のほうがMono群より全体的に成績が高いことが分かりました(左図、*は統計的な有意性 p < 0.05を表します)。また、前者で見られたListen条件の優位性は、Suzuki群で顕著でした(右図)。

 この課題(Context条件)を行っているときの脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)(注4)で測定しました。Listen条件ではMulti群のみで、左脳の言語野(注1)や聴覚入力関連の領域で活動が増加しました(図3A)。ところがRead条件では、Multi群とMono群ともに左右両方の前頭葉と上側頭回前部で活動が増加しました(図3B)。また、Listen条件よりもRead条件のトレーニング効果が顕著に表れたのは、両群で右脳の前頭葉(注2)と側頭葉の一部でしたが(図3C)、Suzuki群に限ると左脳の言語野も含まれることが分かりました(図3D)。

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図3 脳活動が示す群間の違い
音楽判断課題のContext条件で高い活動が見られた脳領域(赤)を示します。各図は左右の脳の外側面です(L: 左)。Listen条件(A図)とRead条件(B図)のそれぞれで、対照条件(Direction)と比較した結果を、Multi群とMono群に分けて示しました。また、Listen条件よりもRead条件のトレーニング効果が顕著に表れたのは、両群で右脳の前頭葉と側頭葉の一部ですが(C図)、Suzuki群に限ると左脳の言語野も含まれることが分かります(D図)。

 さらに定量的な脳活動の解析により、これらの活動量がRead条件における成績と相関して変化することが分かりました。右の上側頭回前部(aSTG)の活動は、応答時間と正の相関を示し(図4A)、正答率を応答時間で割った指標とは負の相関を示しました(図4B)。つまり、成績が高い(正答率が高く、応答時間が短い)ほど、この領域の活動量が節約されるのです。

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図4 右上側頭回前部の活動量と成績の相関
それぞれの脳領域について、活動量(縦軸:MRIで検出された信号値の変化分〔signal change, %〕で表します)とRead条件におけるContext条件の成績(横軸)の相関を示します(黒丸:Multi群、白丸:Mono群、丸1つが各個人のデータ)。右の上側頭回前部(aSTG)の活動は、応答時間(RTs, ミリ秒)と正の相関(右上がりの直線関係で近似できること)を示し(A図)、正答率を応答時間で割った指標とは負の相関(右下がりの直線関係で近似できること)を示しました(B図)。A図とB図どちらも、成績が高い(応答時間が短く、正答率が高い)人ほど活動量が節約されていたことが分かります。

 以上の結果から、短期的および長期的な音楽経験という両方の効果が初めて同時に示されました。さらに興味深いことに、この効果が右脳の前頭葉(注2)を含む領域の活動に反映され、特にMulti群のListen条件において、左脳の言語野(注1)が有効に活用されるということが分かりました。このことから、音楽における文脈や構造の解釈が、言語の解釈と共通した脳の働きに支えられていると考えられます。

③ 社会的意義・今後の予定
 音楽などの情操教育が注目を集める中、短期的な音楽練習や長期的な楽器習得経験の違いが初めて脳科学で明らかになりました。中級者にとって音源をよく聴くほうが楽譜を読むことよりも効果的であるという今回の結果は、文字ではなく音から入る母語の獲得とよく類似しています。すると語学においても、実は母語話者の音声を聴くほうが文章を読むよりも効果的だと考えられます。たとえば英語の習得について今回と同様に調査を行えば、同様の結果が得られると予想されます。また、複数の楽器を経験することが効果的であり、音源を聴くこととの相乗効果(Multi群のListen条件)が左脳の言語野に現れたという新たな知見は、多言語を音声で経験することの重要性と整合します。実際、昨年の成果発表「多言語話者になるための脳科学的条件――新たな言語の文法習得を司る脳部位を特定」(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00106.html)で得られた着想が今回の分析に貢献しました。

 「スズキ・メソード」は、自然な母語習得を楽器演奏習得に応用した教育法です。言語の自然習得(注5)は、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが提唱する「言語生得説」の基礎となる考え方であり、あらゆる自然言語の普遍性を裏付けるものです。この仮説の脳科学的根拠については、酒井による近著『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書、2019年)と『脳とAI-言語と思考へのアプローチ』(中公選書、2022年)を参照して下さい。

 日本の義務教育では音楽が必修科目となっていますが、言語能力との関連はほとんど考慮されていません。また、音楽における創造的な力についても、学習指導要領には「創意工夫を生かした音楽表現をするために必要な技能とは、創意工夫の過程でもった音楽表現に対する思いや意図に応じて、その思いや意図を音楽で表現する際に自ら活用できる技能のことである」(文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 音楽編」p.14)という抽象的な説明にとどまっています。言語野や聴覚野が音楽における高次の判断に関わるという本研究の成果は、国語や英語と同時に音楽を習得すること、ひいては語学教育と情操教育の相乗効果を一層明確に示しており、現在の学校教育に一石を投じるものです。

 これからも、東京大学の酒井研究室では人間の脳から言語や芸術における創造性のメカニズムを解明し、才能教育研究会は音楽教育の実践的な活動を通して、世界の人たちとの豊かな交流の実現に貢献していきます。


発表者・研究者等情報

東京大学大学院総合文化研究科
酒井 邦嘉 教授
梅島 奎立 助教
堀澤 麗也 研究当時:博士課程大学院生

才能教育研究会
早野 龍五 理事長
東 誠三  会長
宮前 丈明 特別講師/ピッツバーグ大学医学部精神科 上席主任研究員


論文情報

雑誌名:Cerebral Cortex〔大脳皮質〕(Oxford University Press Journal)
題名:"Brain Activation Patterns Reflecting Differences in Music Training: Listening by Ear vs. Reading Sheet Music for the Recognition of Contexts and Structures in a Composition"(音楽練習の違いを反映した脳活動パターン:楽曲の文脈および構造の再認において耳で聴くことと楽譜を読むことの対比)
著者名:Reiya Horisawa, Keita Umejima, Seizo Azuma, Takeaki Miyamae, Ryugo Hayano, Kuniyoshi L. Sakai*(責任著者)
DOI:10.1093/cercor/bhaf072


用語説明

(注1)左脳の言語野
左脳の運動前野外側部(ブロードマンの6/8/9野)と下前頭回(44/45/47野)は、人間の言語処理にかかわる「言語野」の一部です。特に文法処理を司る「文法中枢」の機能が両者の中に局在し、45/47野は「読解中枢」として働くことが、本研究グループの研究から明らかになっています〔『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書、2019年)〕。

(注2)右脳の前頭葉
右脳の前頭葉(ブロードマンの6/8/9野と44/45/47野)は、「言語野」である左脳の対応部位(注1)を補助する働きがあります。特に、韻律(prosody)にかかわる領域として70年代終わり頃から報告があり、この場所に脳損傷が起こると、声の調子に抑揚がなくなって平板になります。

(注3)MRI装置
MRI(磁気共鳴映像法)は、脳の組織構造を、水素原子の局所磁場に対する応答性から測定し画像化する手法で、全く傷をつけずに外から脳組織を観察する方法として広く使用されています。そのために使用する医療機器が、超伝導磁石によって高磁場(3テスラ程度)を発生させるMRI装置です。注4で述べる「fMRI」でも、このMRI装置を使用します。

(注4)fMRI(機能的磁気共鳴画像法)
脳内の神経活動に伴う血流変化を、局所磁場の変化から測定し画像化する手法で、外から精度良く脳活動を観察する方法として、1990年代から広く使用されています。

(注5)言語の自然習得
語学教育では、「言語を教える」という発想自体に根本的な問題があります。ベルリン・フンボルト大学の創設者であり、言語学者でもあったヴィルヘルム・フォン・フンボルト(1767-1835)は、「言語を本当の意味で教えるということは出来ないことであり、出来ることは、言語がそれ独自の方法で心の内で自発的に発展できるような条件を与えることだけである。〔中略〕各個人にとって学習とは大部分が再生・再創造の問題、つまり心の内にある生得的なものを引き出すという問題である」という旨を述べています。


―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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