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2025年3月31日

理化学研究所

過剰な不安を抑える脳のセーフティネット

-不安誘発的な環境で活性化する神経回路を発見-

理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター 意思決定回路動態研究チーム(研究当時)の岡本 仁 チームリーダー(研究当時、現 理研名誉研究員、知覚運動統合機構研究チーム 客員主管研究員)、半田 剛久 大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)らの共同研究グループは、不安を誘発するような環境で活性化してマウスの不安様行動[1]を抑制する神経回路を発見しました。

本研究成果は、不安障害[2]などの精神疾患において過剰な不安を生じるメカニズムの理解や治療法の開発に貢献すると期待されます。

不安はヒトをはじめとする動物が潜在的な危険を回避するために重要ですが、不安が過剰になると環境の変化に柔軟に適応することができなくなってしまいます。

手綱核(たづなかく)-脚間核(きゃくかんかく)の神経回路[3]は、不安や恐怖などの動物の情動に関与することが知られています。過去の研究から、この神経回路はさらに細かな亜核[4]に区分され、亜核ごとに異なる機能を持つことが分かってきました。

今回、共同研究グループは、脚間核のうち最も外側の領域(外側亜核外側領域)に注目しました。この脚間核外側亜核外側領域へは、手綱核の内側の領域の上部(内側手綱核上部亜核)からの神経信号を受け取る特異的な神経投射があります。脚間核外側亜核外側領域を人工的に活性化するとマウスの不安様行動が減少しました。反対に、脚間核外側亜核外側領域の神経細胞の機能阻害を行うと、マウスの不安様行動が増加しました。さらに、不安になるような環境で過ごしたマウスの脚間核外側亜核外側領域では神経活動が活性化することを確認しました。これらの結果から内側手綱核上部亜核から脚間核外側亜核外側領域への神経回路が、不安を誘発するような環境で活性化し、不安様行動を抑制することが示唆されました。この神経回路は、不安が過剰になることを抑えるために、脳に内在する安全装置(セーフティネット)として働いている可能性があります。

本研究は、科学雑誌『Molecular Psychiatry』オンライン版(3月26日付)に掲載されました。

マウス脳における手綱核、脚間核の位置と研究成果の概要の図

マウス脳における内側手綱核、脚間核の位置と研究成果の概要

背景

不安を感じて潜在的な危険を回避することは、ヒトをはじめとする動物の生存にとって重要ですが、不安が過剰になると環境の変化に対して探索的で柔軟な適応ができなくなってしまいます。

内側手綱核から脚間核に投射する神経回路は、脊椎動物における進化の過程で保存されており、不安や恐怖などの情動の制御に関わることが知られています。内側手綱核や脚間核は、さらに細かな亜核に分けられ、これまでの研究注)から亜核ごとに異なる機能を持つことが分かっていました。しかし、内側手綱核の上部亜核やそこから投射を受ける脚間核外側亜核外側領域が動物の情動に及ぼす機能は不明でした。

研究手法と成果

脚間核外側亜核外側領域を選択的に標識したり操作を行ったりするために、この領域で特異的にDNA組換え酵素Cre[5]を発現する遺伝子改変マウスを用いました。このマウスでは、脚間核でCreを発現する細胞の多くが、脚間核外側亜核外側領域に局在しています(図1A)。

まず、このマウスにおいてウイルスベクター(遺伝子の運び屋)を用いたCre依存的逆行性トランスシナプス標識法[6]により、Creを発現する脚間核の神経細胞へ投射をしている神経細胞を可視化すると、内側手綱核の中でも主に上部亜核が標識されました(図1B)。これにより、内側手綱核上部亜核から投射を受ける脚間核外側亜核外側領域の神経細胞の機能解析を行うことができるようになりました。

遺伝子改変マウスによる内側手綱核上部亜核-脚間核外側亜核外側領域の標識の図

図1 遺伝子改変マウスによる内側手綱核上部亜核-脚間核外側亜核外側領域の標識

  • (A)脚間核(白)のうち主に外側亜核外側領域(黄)でCreを発現するマウスを用いた。Cre発現細胞を緑で示し、領域同士の境界の目印として、外側亜核外側領域と隣接する外側亜核内側領域のサブスタンスP(神経ペプチド)を染色しマゼンタで示している。スケールバーは100マイクロメートル(μm、1μmは1,000分の1ミリメートル)。
  • (B)ウイルスベクターを用いた逆行性標識により、脚間核のCre発現細胞へ入力する神経細胞を緑色で可視化すると、内側手綱核(白)のうち主に上部亜核(黄)が標識された。亜核同士の境界の目印として上部亜核と隣接する背側亜核、および内側手綱核の外部に発現しているサブスタンスPを染色しマゼンタで示している。スケールバーは100μm。

次に、脚間核外側亜核外側領域の神経細胞が活動したときの情動への影響を調べるために、DREADD法[7]を用いてCreを発現する神経細胞だけを選択的に活性化し、マウスの不安様行動を評価しました。この結果、不安様行動を評価するオープンフィールド試験[8]高架式十字迷路試験[9]において、脚間核外側亜核外側領域の神経活動を活性化したマウスでは、不安様行動が減少しました(図2A)。

さらに、脚間核外側亜核外側領域の機能を阻害するために、Creを発現する脚間核の神経細胞で選択的にシナプス伝達を抑制するタンパク質を発現させると、不安様行動が増加しました(図2B)。

これらの結果から、脚間核外側亜核外側領域の神経細胞が、活性化すると不安様行動が減少し、抑制されると不安様行動が増加することが示唆されました。

脚間核外側亜核外側領域の神経細胞活動操作下での不安様行動の評価の図

図2 脚間核外側亜核外側領域の神経細胞活動操作下での不安様行動の評価

  • (A)Cre依存的なDREADD法により、脚間核外側亜核外側領域を活性化したマウスは、オープンフィールド試験での中心領域の滞在時間や高架式十字迷路試験での壁なしアーム先端への到達回数が増加した。この結果から脚間核外側亜核外側領域の神経細胞が活性化すると不安様行動が減少すると考えられる。
  • (B)Cre依存的に脚間核外側亜核外側領域からのシナプス伝達を阻害したマウスは、オープンフィールド試験での中心領域の滞在時間や高架式十字迷路試験での壁なしアーム先端への到達回数が減少した。この結果から脚間核外側亜核外側領域の機能が低下すると不安様行動が増加すると考えられる。

(A)(B)ともに、各プロットがマウス個体の結果を表し、棒グラフはマウス集団の平均、エラーバーは標準誤差を示している。いずれも、グラフの値が高いほうが、マウスが不安誘発的な環境でも探索的に振る舞い、不安様行動の程度が低いことを意味する。「*」は統計手法「Wilcoxonの順位和検定」で有意水準5%での有意差があることを示す。

最後に、マウスが不安となるような刺激に出合ったときに、脚間核外側亜核外側領域は活動が減少することでマウスが不安となるのか、それとも脚間核外側亜核外側領域が活性化することでマウスの不安を抑制するように働くのかを調べました。そのために、高架式十字迷路を改変して、壁のないアームのみで構成された不安を誘発する迷路でマウスを過ごさせました。この結果、脚間核外側亜核外側領域において、神経活動マーカーであるc-FOSタンパク質[10]の発現が増加しており、不安誘発的環境では脚間核外側亜核外側領域の神経活動が活性化することが示唆されました(図3)。

不安誘発的環境での脚間核外側亜核外側領域の神経活動の評価の図

図3 不安誘発的環境での脚間核外側亜核外側領域の神経活動の評価

  • (A)不安誘発的な環境として、壁なしアームのみで構成された改変型の高架式十字迷路(壁なし迷路)を用意し、不安を生じにくいと想定される対照として壁ありアームのみで構成された高架式十字迷路(壁あり迷路)と通常の飼育ケージを用意した。
  • (B)3種類の環境で過ごしたマウスの脳の脚間核外側亜核外側領域(黄点線で示している)において、神経活動により発現が増加するc-FOS(白で示している)を発現する細胞の数を数えた。
  • (C)飼育ケージや壁あり迷路で過ごしたマウスと比較して、不安誘発的な壁なし迷路で過ごしたマウスでは、脚間核外側亜核外側領域のc-FOS発現細胞の数が増加していた。このことから、不安誘発的環境では脚間核外側亜核外側領域の神経活動が活性化すると考えられる。各プロットがマウス個体の結果を表し、棒グラフはマウス集団の平均、エラーバーは標準誤差を示している。「*」はWilcoxonの順位和検定で有意水準5%での有意差があることを示す。

以上の結果から、マウスの内側手綱核上部亜核から脚間核外側亜核外側領域への神経回路が、不安を誘発するような環境で活性化し、不安様行動を抑制すると考えられました。

今後の期待

この研究では、マウスの脚間核外側亜核外側領域の神経細胞が不安誘発的な環境で活性化し、不安を抑制する作用を持つことが分かりました。この神経回路は、不安が過剰になることを抑えるために、脳に内在するセーフティネットとして働いている可能性があります。

内側手綱核と脚間核は脊椎動物における進化の過程で高度に保存されているため、ヒトにおいてもこの経路が同様の機能を持っていると想定されます。そのため、内側手綱核-脚間核神経回路の機能が低下すると、ヒトにおいても不安障害などの精神疾患で見られるような過剰な不安を引き起こす可能性があると推定されます。

今後、この神経回路で特異的に働いている分子や、この神経回路と不安を制御する他の神経回路との相互作用などを研究することで、不安を制御する神経基盤の理解につながり、不安障害の治療法やストレス耐性の強化法の開発にも寄与し得ると考えられます。

補足説明

  • 1.不安様行動
    マウスにとって潜在的な危険となる環境での行動を観察し、マウスの不安の程度を評価する方法がよく用いられている。切迫していない潜在的な危険への忌避行動を評価している点や、抗不安薬で行動変化が軽減する点など、ヒトの不安症状と類似点がある一方で、ヒトが感じる不安と完全に同一かどうかをマウスで厳密に立証することが難しいため、一般に不安"様"行動と呼ばれる。
  • 2.不安障害
    さまざまな原因により、日常生活に支障を来すほどの不安や恐怖を感じる精神疾患の総称。
  • 3.手綱核(たづなかく)-脚間核(きゃくかんかく)の神経回路
    間脳にある手綱核から中脳にある脚間核へと投射する神経回路。マウスでは、手綱核の中でも特に内側手綱核が脚間核へ投射しており、辺縁系からの入力を脳幹に伝達する経路と考えられている。脚間核はさらに、脳幹部のセロトニン系やアセチルコリン系を含むさまざまな領域へ投射を送っており、これらの情動制御と関わる脳領域の活動を調節していると考えられている。
  • 4.亜核
    脳内には神経細胞の細胞体が集積した「核」と呼ばれる領域が散在しているが、「核」はさらに細かな領域に区分できる場合がある。ここでは、その細かな区分を「亜核」と呼んでいる。手綱核や脚間核も、形態や神経伝達物質の種類などから亜核に区分することができる。
  • 5.DNA組換え酵素Cre

    Creは特定の配列を認識してDNA組換えを起こす酵素である。Creが認識するDNA配列と、細胞で発現させたい遺伝子配列を人工的にうまく組み合わせた配列をウイルスベクターなどで細胞に導入すると、Creが発現する細胞のみで目的の遺伝子産物を発現させることができる。本研究でもこれを利用し、Cre依存的な神経回路標識や神経活動の操作を行った。CreによるDNA組換え模式図を以下に示す。

    DNA組換え酵素Creの図
  • 6.Cre依存的逆行性トランスシナプス標識法
    ある種のウイルスが神経細胞のシナプスをさかのぼって逆行的に感染していくという特性を用いた、神経回路可視化法。特定の条件下でしか感染しないように改変されたウイルスを用いて、Creを発現する神経細胞から感染して、それに直接投射している神経細胞(前シナプス細胞)へとシナプスを越えて感染が伝播(でんぱ)して蛍光タンパク質を発現することで、神経回路を逆行的に標識することができる。
  • 7.DREADD法
    神経細胞に人工的な受容体を発現させ、その受容体を特異的に刺激する薬物を投与することで、神経細胞の活動を人工的に操作する手法。この人工的な受容体を、ウイルスベクターを用いてCre依存的に発現させることで、Creを発現する細胞の選択的な活動操作が可能となる。DREADDはdesigner receptors exclusively activated by designer drugsの略。
  • 8.オープンフィールド試験
    マウスの活動性や不安様行動を評価する試験。正方形の箱の中をマウスに探索させる。マウスが新しい環境では壁の近くを好む性質を利用し、壁から離れた箱の中心領域での滞在時間が長ければ不安様行動が減少しており、短ければ不安様行動が亢進(こうしん)していると解釈する。
  • 9.高架式十字迷路試験
    マウスの不安様行動を評価する試験。高所にある壁のあるアーム2本と壁のないアーム2本が十字型に交わる迷路をマウスに探索させる。マウスが新しい環境では壁の近くを好む性質を利用し、壁なしアームでの滞在時間が長ければ不安様行動が減少しており、短ければ不安様行動が亢進していると解釈する。
  • 10.c-FOSタンパク質
    神経活動の活性化により発現が増加するタンパク質で、神経細胞活動性の指標として用いられている。

共同研究グループ

理化学研究所 脳神経科学研究センター
意思決定回路動態研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時)岡本 仁(オカモト・ヒトシ)
(現 理研 名誉研究員、知覚運動統合機構研究チーム 客員主管研究員、早稲田大学 理工学術院 客員上級研究員、研究院客員教授、公益財団法人 神経研究所 客員研究員)
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)半田 剛久(ハンダ・タケヒサ)
(現 神経回路・行動生理学研究チーム 客員研究員)
研究員(研究当時)杉山 拓(スギヤマ・タク)
(現 研究基盤開発部門 生体物質分析支援ユニット 専門技術員)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時)タンビル・イスラム(Tanvir Islam)
(現 研究基盤開発部門 生体物質分析支援ユニット テクニカルスタッフⅠ)
神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー トーマス・マックヒュー(Thomas J. McHugh)
学習・記憶神経回路研究チーム
チームリーダー ジョシュア・ジョハンセン(Joshua P. Johansen)
群馬大学 大学院医学系研究科 遺伝発達行動学
教授(研究当時)柳川 右千夫(ヤナガワ・ユチオ)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(CREST)「手綱核による行動・学習の選択機構の解明(研究代表者:岡本仁、JPMJCR09S1)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「社会的闘争を制御する神経回路機構(研究代表者:岡本仁、16H06317)」、同基盤研究(A)「手綱核・脚間核経路による社会・認知行動のスイッチング制御機構の解明(研究代表者:岡本仁、21H04814)」、同学術変革領域研究(A)「能動的推論に基づく意思決定の神経回路機構の解明(研究代表者:岡本仁、22H05520)」「階層的脳部位間の予測と予測誤差信号の伝達に基づく意思決定行動の制御機構(研究代表者:岡本仁、23H04976)」、理研CBS-花王連携センター、および理研大学院生リサーチ・アソシエイト(JRA)プログラムによる支援を受けて行われました。

原論文情報

  • Handa, T., Sugiyama, T., Islam, T., Johansen, J.P., Yanagawa, Y., McHugh, T.J., and Okamoto, H., "The Neural Pathway from the Superior Subpart of the Medial Habenula to the Interpeduncular Nucleus Suppresses Anxiety", Molecular Psychiatry, 10.1038/s41380-025-02964-8新規タブで開きます

発表者

理化学研究所
脳神経科学研究センター 意思決定回路動態研究チーム(研究当時)
チームリーダー(研究当時)岡本 仁(オカモト・ヒトシ)
(現 理研 名誉研究員、知覚運動統合機構研究チーム 客員主管研究員)
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時)半田剛久(ハンダ・タケヒサ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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